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野田聖子 [人]

 8月の内閣改造で入閣した野田聖子総務大臣は次のように述べています。


 「私の信条と言うほどのものではないが、『義をみてせざるは勇なきなり』の言葉を引いて、内閣で首相に意見する」のだと。


  彼女はこの2ヶ月足らずの任期中、どれほどの仕事をされ、どれほどの意見を首相にされたのでしょうか?


 元々義をみてせざるの義があってなせない環境にある者は、それほどの権力を持っている者ではないのですから、最高責任者を自負する強大な権力者の首相に使うこと自体がまったくおかしいのですが、今回の解散総選挙、義どころか肝心要の大義すら後付け大義でほっぽり投げたような暴挙をされようとしている首相に、どのような意見を具申されたのか。あるいはされるのか?見ものです。


 彼女の力量が問われているのです。彼女の勇気も問われています。


 そして、選ぶ側の国民の器量も。




 もっとも、

 彼女が政治家として頭が良いのは「信条と言うほどのものではない」と、ちゃんと責められたときの逃げの一手も打っているところです。おバカな政治屋とは違う・・・



 けど、政治家の言葉はやっぱり軽いな  


 → じゃぁ、ほんとうの信条はなんなんだ!




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  彼岸の入り 彼岸法要を勤めました。


 お彼岸の回向文は

「仰ぎ願わくは、一切衆生、未だ貪りの心を離れざる者には、願わくは貪りの心を離れしめ、いまだ怒りの心を離れざる者には、願わくは怒りの心を離れしめ、いまだ愚痴の心を離れざる者には、願わくは愚痴の心を離れしめ、総じて世・出世間一切の偏邪を離れて中正なることを得、遠塵離苦して菩提の覚路に入らしめたまわんことを」です。   

                                怒りの字は本来は瞋りです




 貪りや怒り、愚かさを離れるためにはそれをよく知ることと、それが自分や廻りの者に与えるダメージを肌で理解していることが肝要です。知らなければ離れられません。


 権力に近い者は貪りや怒りが与えるダメージを知っているがために、離れる道を選ぶのではなく、それ以上を得ようと懸命にもがいている者だと言えるかもしれませんね。

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 [時事]




 8月3日仕事人内閣という鳴り物入りで内閣改造したにもかかわらず、ほとんど仕事らしい仕事をせずに衆議院解散へと動くことは、憲法解釈上も諸外国との対比でも憲政史上最低最悪!であるとBLOGOSで、郷原信郎氏が指摘されています。


 衆議院解散は内閣不信任案の提出があってのものであり、首相の専権事項ではなく、内閣全員の同意署名があって初めて決定するものである、とも。



 「安倍首相が行うべきことは、解散の強行ではなく潔く自らその職を辞することである」



 特定秘密保護法や安保法制の制定、集団的自衛権行使容認の閣議決定など、数々の法案を上程しても説明が二転三転し、籠池加計学園問題でも丁寧な説明を終にすることもないならば、潔くその職を辞すること、それが政治課題解決に向かう一番の方法だと思います。


 危機を煽るだけ煽って国民を不安に陥らせて、自分はしれっと外遊するような方は要りません。でしょ?




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予防と処置と [人]

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 台風如何だったでしょうか? 


 この辺りはご覧のように細い草さえそのままですから、風も吹かず少し雨が降ったくらいで避難指示や勧告が嘘のような、ありがたいことでした。


 ただ同じ県内でも県南の津久見・佐伯・臼杵方面は、「経験したことがない大雨」で河川が氾濫して被害がかなり出ていると報道されています。お彼岸行事が済んだらお手伝いに行くことも考えねばならないかもしれません。






 その前に、治療中の歯が痛くて痛くて、医院からいただいた痛み止めが全く効かないので、困っています。お経を読んでも歯があたると痛くて脂汗が出てくるような状態です。寝るに寝れない。なんでもちゃんと治療しとかないといけませんね。


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すべては変わる [人]

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 急に寒くなったので靴下をはきました。足先の割れてるヤツ、去年檀家さんから頂いたのです。これなら下駄も雪駄も履けますね^^ さすがにこれでお経周りはできないでしょうけど。



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 寒いのでお昼ご飯は「ぜんざいにしよう、お餅もあるし!」って言ったら、Mさん気を利かせてアイスをトッピングしてくれました。これはこれで美味しかったけど・・・


 



 朝一でお参りしたお宅でお祖母ちゃんが「実は相談したいことが~」とお茶を運びながら私に言います。東京のお嬢さんのところにでも行くのだろうか、毎年暮れには行ってるし・・いよいよずっと向こうに行きっぱなしになるのかなぁ、そんな話かなぁと思ったのですが、意外な相談を切り出されました。


 「実は東京の娘夫婦があちらのお墓(山梨にあるらしい)をみてるのですが、退職したら自分たちも気に入っている日田に帰りたいし、お墓を処分してお骨も持って来たい。ついてはうちのお寺の納骨堂に入りたい。檀家にもなりたいって言ってるんですが、空いてますか?」


 なんでもお婿さんがすごく日田を気に入ってて、お嫁さんが実家に居ないときも、息子さんと二人一緒にお祖母ちゃんのところへ訪ねて来るらしいのです。


 「それならちょうどお宅の納骨堂の斜め前が2ヶ月ほど前に空いたのでそちらにどうですか?古いところだけど、同じ建物で近いから便利も良いし一緒にお参りできますね」


 お祖母ちゃんの魅力に惹かれて娘さん夫婦も日田にUターンしてくるなら、家も賑やかになります。


 都会に出て行った方がお骨を持って行かれることはよくありますが、田舎に戻ってくることは珍しい、です。暑くて寒いことで有名な、水害の記憶も新しい日田ですが、それでも「日田が好き」って言われるとうれしいですね。




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 今回の台風は何事もなく過ぎていってくれました。



 進路にあたっている方々はさらにご用心を、被害の出ている地域の方々にはお見舞い申し上げます。

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台風はまだ [庭の中で]

  台風が思いの外のろいので肩すかし状態です。今日は水害片付けのボランティアに行く予定でしたが朝の雨で取りやめになりました。チーム大分主催の熊本の益城町、「ちゃんこ鍋で訪問」は23日に変更です。

 夕方には全市一斉の避難勧告が発令されましたが、今のところ雨も降らず風もなく何もありません。市の職員は明朝6時集合だといいます。風も雨もたいしたことが無くて通り過ぎますように。他所の地域でも被害がありませんように、お祈りいたします。




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 粒は小さいのですが今年もほんとによく成りました。


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 ジャムにするか生で食べるか

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救うことあたわず [人]

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 毎年恒例の豆田町のうなぎ屋さん「いた屋」の放生会供養

 この時期に営んでいます。


 頭がそり気味なのは、老眼で小さな字が読めず、なんとか読もうと苦労しているのです ><


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 供養の文章を読むと人間の残酷さがこれでもかこれでもか、と書かれています。一番残酷なのは人です。 


 若い頃四国でお遍路をした経験のある人が言うには、「お接待も、ちゃんと白装束着た人には良くしてくれるよ。でも、ボクはなんともしれない格好だったから、はやく言えば乞食の格好だったから、食堂に入っても怪しまれたね。そういう格好でも一番良くしてくれたのは、橋の下で暮らすような、同じような人たちだった。88ヶ所のお寺に参ったけど、まともな坊さんだと思ったのは2人しか会わなかった。田舎の小さな観光寺院化してないところのね」 


 「それで、同じような人たちが言うには、『食堂に入ったら、まずテーブルにお金を置くこと。これで、待遇が全然違うから』って。お遍路はお接待に尽きるって言うけど、やっぱり人は格好を見るね」


 「寝るのだってお金がないから神社の藏のようなところとか墓地とか見つけて勝手に寝るんや。意外に寛げる。一番怖いのは民家の近くだったよ」


 若い頃の話をしてくれたのは同級生のHさん。自殺未遂経験にインド一人旅、親を看取って葬儀を勤めた経験から菩提寺を捨てたことなどいろいろ体験しています。仏教やキリスト教、心理に魂関係の本もたくさん持ってて、よく勉強しています。もう10年くらい前だったか、私は彼の生前葬の導師を勤めました。


 その彼が「掛橋くん、仏教が科学によって証明されようとしてるって話、素粒子の話知ってる?」って話題を振ってきました。「最近図書館で借りて読んでるんだけどね。面白いね」


 そこで、俄然盛り上がってああ言ってるこう言ってるとなったけれど、悲しいかなどちらも素粒子なんて学問はド素人ですから大して深まらないんですが、話してる内に魂のこと死後の実在の有無とか、臨死体験のこととかまでになったので、横で聞いてた人が「なんかその話面白そう。仏教って深いね」と言ってくれたのが救いですかね。「時間って人間だけにしかないものなんやね」とか「宇宙の大きさとか考え始めたら・・どうなんやろうね・・・」って。


 大きな宇宙の話と身近な事柄が実は大きく関連している、すべてが因果関係の中にあって相互に影響し合い関連しているのだと仏教は捉えます。如何でしょう、秋の夜長、素粒子学的仏教論の本を読んで人生を考えてみませんか?






 今日はパンの日でもありました。


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      カボチャと餡子と高菜入り


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 食欲が満たされると、大概人は救われます。


 

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コントロール下にある [人]

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     市営大原テニスコートにて      芝生にキノコが


 


 今会社の新人研修でも自衛隊を利用して訓練体験を課すところがあるといいます。先日は江田島の幹部候補生学校のレポートも目にしました。 


 その内容を賞賛する方は、「日本の若者全員がこのような訓練を受ければ、背筋がぴしっとした立派な社会人になるだろう。受けさせるべきだ」「自分もそういう訓練を受けたから、今逆境に耐えられている」というような感想を漏らします。


 自衛隊員であるならば、明確な敵を相手にするためにハードな訓練をすることは必要最低限なことであるだろうし、自分(たち)を守るためにも必要なことでしょう。


 けれど、一般人にそういう訓練が必要なのかどうか。なぜしなければならないのか。


 整然とした行進   北朝鮮のあの閲兵式を見て、感心するでしょうか?まるでロボットがあるいているかのような異常な行進の姿を見て、うちの子もさせたいという親がいるでしょうか?中にはいるかもしれませんが・・・


 「兵隊として・組織の一員として、一人の人間を完全にコントロールして使いたい」という気持ちが、自衛隊の訓練の様子を見て感心する人の心中にはあるのではないかと思います。


 訓練は例えばお寺の修行に似ていますが、修行ではありません。あくまでも集団で組織だって、敵に対処する。それが自衛隊や軍隊の訓練です。敵を殲滅することが目的です。人格を磨くことが修行の目的だとしたら、真逆のことのために日々行うのが彼らの訓練です。


 何も考えなくても、暗闇でも、躊躇無く訓練通りのことができる、敵を倒すために。できれば心はない方が良い、というのが(戦時の)軍隊の規律です。そういう訓練の経験は日常生活に役立つでしょうか?まねごとでもしないよりした方が良いでしょうか?



 会社や組織の上に立つ人はそういう訓練を経験させたいかもしれませんね。でも一般人が、家庭の人が背筋の伸びた立派な人を望むためだけに、訓練を良しとするのはお門違いも甚だしいと私は思います。心を無くそうとしたり、心を壊したら、元に取り戻すのは大変な労力努力が必要です。戻らないかもしれません。敢えて、壊す必要はないのです。


 壊してでも兵隊が欲しいという人、自分がそうさせられたならと、考えてみましょう。

 ・・・考えないでしょうけど・・・


      




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どうにでも [ニャンコ]

DSC_0316.JPG   初めてスマホから投稿してみました
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向かない人たち [人]

 臥薪嘗胆という故事を持ち出すまでもなく


 ミステリー作家の西村京太郎氏は「日本人は戦争に向いていない

と、その著書の中で仰ってるのだそうです。


 まるで宗教に嵌まった人のようになんの抵抗もなくのめり込み、上の人の指示に絶対的に従う。いのちが軽い。そういう性癖をもっている日本人は戦争をしない方が良い、のだと。


 【 だって、負けるのがわかっていても、死ぬことがわかっていても戦うなんて正気の沙汰じゃない。だから、戦争には触れても近づいてもいけない。そう思うんです。 】


 理性以前の問題として、向いていないのだ。理性そのものが戦争の熱気の中で一瞬で消え去るのだから。


 だから「一億総〇〇」というスローガンが簡単に軽く、安易に語られるのだろう。





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  墓地で


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目的と両立しない他の [人]

 元外務相国際情報局長の孫崎享氏が、

 現実には「北朝鮮のミサイル防御も先制攻撃もできない」という事実を指摘されています。


 仮に迎撃できたとしても落ちてきた双方の破片による損害の方が大きいだろうとも。


 文章中に国連憲章第2条を引用しています。


【 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。 】


 我が国が国連を中心として外交する(世界で生き残ろうとする)限り、この憲章から逸脱することはできません。

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