コントロール下にある [人]
市営大原テニスコートにて 芝生にキノコが
今会社の新人研修でも自衛隊を利用して訓練体験を課すところがあるといいます。先日は江田島の幹部候補生学校のレポートも目にしました。
その内容を賞賛する方は、「日本の若者全員がこのような訓練を受ければ、背筋がぴしっとした立派な社会人になるだろう。受けさせるべきだ」「自分もそういう訓練を受けたから、今逆境に耐えられている」というような感想を漏らします。
自衛隊員であるならば、明確な敵を相手にするためにハードな訓練をすることは必要最低限なことであるだろうし、自分(たち)を守るためにも必要なことでしょう。
けれど、一般人にそういう訓練が必要なのかどうか。なぜしなければならないのか。
整然とした行進 北朝鮮のあの閲兵式を見て、感心するでしょうか?まるでロボットがあるいているかのような異常な行進の姿を見て、うちの子もさせたいという親がいるでしょうか?中にはいるかもしれませんが・・・
「兵隊として・組織の一員として、一人の人間を完全にコントロールして使いたい」という気持ちが、自衛隊の訓練の様子を見て感心する人の心中にはあるのではないかと思います。
訓練は例えばお寺の修行に似ていますが、修行ではありません。あくまでも集団で組織だって、敵に対処する。それが自衛隊や軍隊の訓練です。敵を殲滅することが目的です。人格を磨くことが修行の目的だとしたら、真逆のことのために日々行うのが彼らの訓練です。
何も考えなくても、暗闇でも、躊躇無く訓練通りのことができる、敵を倒すために。できれば心はない方が良い、というのが(戦時の)軍隊の規律です。そういう訓練の経験は日常生活に役立つでしょうか?まねごとでもしないよりした方が良いでしょうか?
会社や組織の上に立つ人はそういう訓練を経験させたいかもしれませんね。でも一般人が、家庭の人が背筋の伸びた立派な人を望むためだけに、訓練を良しとするのはお門違いも甚だしいと私は思います。心を無くそうとしたり、心を壊したら、元に取り戻すのは大変な労力努力が必要です。戻らないかもしれません。敢えて、壊す必要はないのです。
壊してでも兵隊が欲しいという人、自分がそうさせられたならと、考えてみましょう。
・・・考えないでしょうけど・・・