偏愛 [至言]
斎場の控え室に掛かっていたカレンダー
そして、ハリー王子とメーガン・マークルさんの結婚式でも注目を集めた「愛」
世間的に
欲を言えば
「愛されることは幸せであり 愛することはもっと大きな幸せを得る」なのでしょうが
仏教的には
「愛は執着である。執着を離れてこそ真の幸せを知る」です
キリスト教は自らが積極的に関わることによって幸せを感じ、そして得ようとする宗教だと思います。ほとんどの日本人はキリスト教徒ではないけれど、明治維新以降その考え方の影響下にあり、特に映画や歌によって感化されてきました。保守とか右翼とか名乗っている人々ですら、すべては勝ち取るものであると、西部開拓時代のようなことを言います。
そう言いながら、残念ながら、国家主権も民主主義も勝ち取る気概を見せてはいませんが。
いつもふりだけして良いかっこしいをする。良いものは勝ち取ってこそ自分のものになる!という考えかたが身についていない。
歴史的にみれば日本人の考え方?仏教は「執着から如何に離れるか」です。実際に行われることは少なくとも、それが良きものとして評価されてきたのだと私は思っています。
そして
いつまでたっても民主主義が借り物であると言われるのも、そういう考え方が上書きされていないからではないでしょうか。
西欧人から見れば、時として「得体の知れない特殊な行動をする日本人」というのも、実はそこに、すべては勝ち取るものではなく執着を離れて共有しようとする、思考や行動原理があるのではないかと思います。
偏った愛を持ち出して他人を貶めたり傷つけようとする人たちは論外ですけどね。