わざわい [人]
「すべてが原因と結果として関わり合い、廻っている」というのはお釈迦様の重要な悟りのひとつです。単独で成り立つものは無く、すべては影響し合う。
どんなに口で偉そうなことを言っていても、本心が望むことは現れるし、それはすべてのものに影響を及ぼす。上に立つものが長くその地位に居座れば居座るほど、下も廻りも影響を受ける。良いことも悪いことも。
林文科相がいわゆるキャバクラヨガなるものに個人的に行こうが、そのへんのおっちゃんなら何の問題もないのだろうけれど、前川前次官を更迭したあとの人格攻撃が出会い系バーへの出入りであったことを思うと、お金を払おうが個人的に体を鍛えるためであっても、また公用車を使用しての移動も、「すべてアウトである」と政権側の人たちが糾弾しなければ、理屈は破綻してしまいますね。彼等は得意のダブルスタンダードでかわすのでしょうが。
財務省の次官がどこでどのように言おうが、あるいは万一嵌められたかもしれないにせよ、世間的には、その口から出たことはご自分が責任を取るしかない。訴えると仰っているのだから、裁判で事実が明らかになるかもしれない。
「禍は口より出でて身を破る
幸いは心より出でて我を飾る」と日蓮聖人は仰っておられますが、
ことは誰の責任でもなく、本心が自分自身を作って、それが廻りにも、お互いに影響し合っていくのです。
寛容な社会を望むなら、個人の資質や行いに対しては寛容な気持ちで接していくしかありありません。他人に対する不寛容な態度は、いつか自分の首も絞めます。それが道徳の基本でもあります。
だから今、彼らは責められているのです。白か黒か、世の中はそうじゃないよと言いながら、他人はしっかり責める社会的に上に立つ人たち。自業自得です。
花は落ちてもきれいですが、政治屋は落ちたらそれまで。落ちても土になる、栄養になる。そういう道を歩みたいですね。
カルミアも咲き始めました
からたねおがたまのき