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クレイジーか非クレイジー [人]

 今日から8月 お寺にとってはお盆の月なので、一人お坊さんのお寺などでは、遠隔地から棚経廻りに出られているようです。私も子どもが未だ幼いときはそわそわしていました。今じゃ、3人いますからちょっと余裕です。7月の内に初盆経のお宅が5軒ありました。うちでは、今度の土日から本格的に廻り始めます。






【 保守派が”ウケのいいデマ”を繰り返す理由


 政治家はついに気づいてしまった。ひたすら同じことをくり返していけば、それが真実であろうと亡かろうと、大衆は信じるようになるのだ、と。そして民主政治においては、多数者の信じることのほうが事実よりはるかに重要だ。そのため多くの政治家は、真実を語るふりをすることすらやめてしまった。


 もはや真実や事実など、どうでもいい。大衆ウケのいいことをくり返すことが重要だ。こうしたポスト・トゥルース的な態度は、アメリカ民主党よりも、保守派の共和党と親和性が高い、というのがヒースの診断だ。その違いは、保守派が、計画や政策よりも、勘、直感、感情に訴えかけることを優先している点にある。


 (中略) 


 (それでも大事なことは)


 理性を軽視してはならない


 直観主義のハイトは、理性の崇拝は「合理主義者の妄想」だと一刀両断し、「真実の追究を是とする人は、理性崇拝をやめるべきだ」とまで言い放っている。しょせん理性は、感情の下僕に過ぎない。つまり、理性にいくら働きかけたところで、直感や感情をコントロールすることはできない、というわけだ。


 それに対してヒースは、次のように反論している。


 〈 私たちが現在生きている世界は不自然なうえに高度に非直感的なものだ。この社会の三つの主要な制度的特徴ー市場、代表制民主主義、人権ーは、どれも採用されたときにはまったくクレイジーだと、人間性に反している(そのため人類史上ほぼずっと拒まれてきた)と思われていた。長期間の根強い論理的思考、議論、実験の過程を経てようやく、これらは試され、成功することが示されたのだ 〉 以下続く 】




 現代は「右か左」ではなく「クレイジーか非クレイジー」なのだと。


 適菜収氏は「右でも左でもなく下である」と書いています。


 論理的な主義主張ではなく感情が理性に勝っている、


 いつの時代も感情はコントロールしがたいもの。


 宗教もそうですからね。




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