まなぶ [人]
1台は大型バイクで免許所持者は無し
私は大型バイクの免許50才で取りましたが、原付とはまったく別物と言っていいバイクです大型は。スピードが出る、車体が重い、簡単には止まらない、曲がりにくい。一人で乗ってもそうなのですから、二人乗ったらどうなるか?ゾッとしますね
誰かが貸したのか、ちょっと拝借したのか、盗んだのでしょうか?
バイクは乗れれば気持ちの良い乗り物ですが、やっぱり危険とは隣り合わせ。しっかり学んで、練習して乗って欲しいです。
かく言う私は
体力気力が無くなって、そのへんのツーリングに行く元気も無くなりました。
体力気力といえば、「今晩宇和島にボランティアに行きます!」とうちのすぐ近くに住む70才の檀家さん。日田市のボランティアバスに申し込んだそうです。自治会長もなさっている方ですが、ありがたいですねぇ。
宇和島にて [人]
チーム大分の梅山さんにお誘いをいただいて・・最初は「23日に行きませんか?」でしたが、19号20号台風で流れて、25日が流れて、日曜月曜の1泊2日、ほぼ日帰りボランティアに5人で宇和島へ行ってまいりました。
別府港を23時過ぎに出てフェリーが3時間。
翌日の行動計画を確認し、2等船室でちょっと1杯引っかけてゴロ寝。港に停泊中に仮眠を取り、ファミレスで朝食、コンビニで買いだし、7時半に現地入り。
谷あいの小川が氾濫してブロック塀が倒壊しています。家の方は床上50㎝くらいまで浸水です。
水の勢いって凄いですよね。塀があったから家が助かった、というような状況でした。
ブロック、農業用ビニール類、流木や家具をトラックで3回処理場へ運びました。
小さな谷あいの、低い所が被害に遭っているので地区全体というわけではありません。パッと見は何事もなかったような感じですが、山肌が出ている場所が所々あって、そこは段々畑のミカンやハウスにも被害が。
伺ったお宅は7月初めのイチジクの収穫時期と重なったので、JAがお見舞いに来てくれたけれど、「収穫のことなどまったく頭に浮かばなかった」くらいのショックだったと。立派なイチジク、お昼にご馳走になりました。
私も広間の畳み出しのお手伝いをしながら、後の段取りのために畳の間取りをメモするのに、何回書いてもちゃんと描けない!というショック状態。後から思い出したらなんてこと無い間取りでも、疲れているとイメージが描けないという、ボケ状態を経験しました。お手伝いですらそうですから、被害を受けた方は如何ばかりかと思います。
午後3時、作業を終え、途中道を間違えたりしながら (^_^;) 午後5時半のフェリーに滑り込みセーフ~~
「誘ってくれなければ、気持ちがあっても一人じゃ行けんもんね~」
それぞれが出来る範囲で、出来ることを、です。
働いて、運転して、気を使ってくれて、「梅山さん、原田さん、松本さん、橋本さん、お疲れさまでした」
夕方水遣り中に見たら、暑さでスイカの表面に黒い斑点が出てたので
冷やして試食
期待以上~想像以上に甘かったです。
来年はプランターで作ってみたい!
トリクルダウンは自分たちだけ [人]
2020東京オリンピックのオフィシャルサポーターである
あのタケナカ平蔵氏が取締役会長でもある・・・
ボランティア募集などの業務を請け負う・・・
小泉ジミントウ時代から続き、儲け仕事には必ずひっついている彼は
まるで人体に取り憑いて離れない
住血吸虫のような人材ですね
彼曰く「アベノミクスでトリクルダウンは起きない」
お仲間の人たちだ・・け・・・に・・・お裾分け
トリクルダウンを期待する方がおかしい
利益は頭が良い者が奪い取るもの
きっと彼はそう言うでしょうね
「自分さえ良ければいい!」
そういう人を仏教では餓鬼と言います
「何もおかないと広いね」の図
本堂は敷き終わりました
すべて [思い出]
畳屋さんが昨日持って帰って張り替えた畳20畳を
今日は12畳お持ち帰り
全部で127畳の総畳替え
新しい畳表の香りが香しい~~
まったく関係のないニュースですが
どう思うかの判断はそれぞれ皆さんで
白衣で [人]
今日から九州教区主催の「僧風林 そうふうりん」が3泊4日の日程で熊本で開催されます。
熊本市の本妙寺様という、加藤清正公が檀越となって開かれたお寺で開林式。
僧風林とは、お坊さんの卵たちの学校であり修行の場です。なので、期間中はみんな白衣を着てお経をあげたり鳴り物を練習したり、心構えを教えてもらいます。
九州各地から11名の小坊主さんが集まりました。まだまだ残暑厳しい日中ですが、しっかり頑張って欲しいですね。
林長先生からは「楽しくしっかり学びましょう」とのお言葉をいただきました。
生きやすい国に [時事]
大板合同新聞8月17日の記事
ロバート・キャンベル東京大学名誉教授のカミングアウトから
「LGBTであってもどうであっても、皆が生きやすい国になって欲しい」という思い。ジミントウ議員先生の主張は指向を誤解し嗜好と混同している・・・彼らは頭が良いのですから「敢えて」間違うように「混同している」のだと、思います。要するに「自分と違う生き方は嫌い」だから、自分の考える型にはめたい。まぁ普通の人間は型にはめたいと思っていますよね、自分の好きなように。
選良といわれる?自称している人たちが一般人と同じように主張して良いのかどうか?その主張が選良としての価値観にそぐわしいものなのかどうか?70年以上前から150年前までの特殊な、帝国主義的価値観に戻そうと躍起になっている人たちは今の目の前のことは見たくないのでしょう。
対米従属でありながら帝国主義独裁を夢見つつ、寺院の門徒や檀家でありながら神社神道を戴き、自由と民主をうたいながら国民主権が大嫌いで、国民には道徳道徳と言いながら自分たちは経済至上の新自由主義のジミントウ議員たち。不思議な人たちです。なぜ自己矛盾していると感じないのでしょうか?
「皆が生きやすい国」本来自由民主の願うところはそこですよね。
9月に大事なお客さんがみえるので気になっている障子張りを、とりあえず今日は10枚。明日は畳屋さんが総入れ替えの第1陣を入れる予定です。
仕事の合間に、息子のお土産のカップ初下ろし。ボチボチやります。
感じる心 [人]
たまには違うニュースをばと
平安時代の陰陽師安倍晴明に因んで「せいめい」と命名したのだそうです。よく見て観測して多くの発見をして欲しいものですね・・
と言いつつ、最近老眼が酷くなって眼鏡と合わず、ピントがずれて・・小さい字が読めなくて困っています。タブレットやスマホなら大きな字に出来ますが、PCのインターネットでは拡大できませんよね。ブログの字、皆さん普通に読めますか?
しっかり観測しっかり認識繋がりで
日本の自称保守が大好きな「教育勅語」は儒教の徳育そのものだという指摘は当初からあったのだといいます。日本古来の神道は「神ながらの道」であり人倫というような考えは全くなかった。いわゆる明治維新以降から終戦に至る間のことは犯すベからざる神聖な、日本にとって偉大な期間であり今の我々が鏡とするべき時である。しっかりとした人の道・道徳が行われ家族制度が機能していたのだから。そういう輝かしい幻想に浸りたいが故の回帰志向。
その当時に、人倫道徳が行われなかったから勅語が発布され、人の道が示されたのに、です。我田引水のための手段として勅語が使われ、その内容の依ってきたるところは問わない。でぇ嫌いなはずの中国由来思想であったとしても。
自分の考え生き方を補強するために、どこの出自でもいい思想を使うって恥を感じる心がないのでしょうか?
晴れやかに明るいなら 恥も薄らぎますか