世界は [本]
「ガンディー 魂の言葉」 太田出版 032より
世界は慈悲と愛の力でできている
わたしたちの歴史は、戦いの記録で埋められている。
まるで、この世界は戦争や暴力によってつくられたかのようだ。
でも、それが本当だとすれば、世界にはなぜまだこんなにも大勢の人々
が生きているのだろう。
この事実は、極めてシンプルなことを物語る。
わたしたちの世界は、戦争や暴力によってではなく、
慈悲と愛の力でできているということを。 (ヒンドスワラージ)
自身 [本]
「諸佛世尊は衆生をして 清浄なることを得せしめんと欲するがゆえに 世に出現したまう」 法華経 方便品第二より
清らかな体 浄らかな心を欲するならば
天の上にも下にも自分ほど尊いものはないのだから、
清らかにするのも汚すのも自分自身だと知ることが仏の教え。
自分自身を敵にしてはいけない。
宮下真著 「親鸞 救いの言葉」 永岡書店 を読んで思うのは
仏教者でない方をして語らしめる親鸞の魅力は素敵だし、、絶対他力への信もすごいなぁと思います。
でも・・それでも、自ら行わなければ信も真も表れてこないという事実があります。それが仏の祈りです。
ぼくの宝は [本]
渋柿、あんまり暑いので今年もほぼすべて熟柿になっています。
はなみずき
うちの宝は、渋柿もはなみずきもですが・・・
「ぼくの宝は足と友」 編集工房ノア 渡利 真著
こちらから 風と戯れて メールで注文できます。
P57より 【望くんの中学2年の夏のことだ。(中略)普段家では義足を取っているのだが、のぶりんに足を見せても理解してくれるとは思っていたが、気持ち悪いという表情をされたらどうしよう、友だちをやめるようなことになるかもしれないなど、色々な想像をしていた。でも俺は決心した。義足を外し、のぶりんに本当の足を見てもらおうと俺は、「のぶりん、足とっていい?」と直球勝負をした。その答えを今でも鮮明に覚えている。「やっと見せてくれるんやな。どんだけ待たせるねん」のぶりんはそう言うと、普段の優しい顔でニコッと笑った。俺は言った。「見せたかったんやけどな。もっと早く見せたらよかった」 】
人の思い、情、祈り、信頼、信念、それらが全てさらりと、ここにはあります。
矢作直樹氏 [本]
神は在るか、魂魄は在るか。
矢作直樹著 「人は死なない」 バジリコ株式会社刊
ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索 P217より
「人の一生は一瞬の夢にも似た儚く短いものです。だからこそ、人は現世に執着するのかもしれません。愛する人の死を悼み、自分の死を怖れる。その気持ちはよくわかります。しかし摂理、霊魂の永遠に思いを重ねつつ、今に没頭すれば、肉体の死を恐れることなく勇気を持って生きることができるのではないかと私は思います。中略 『人は自分に与えられた身体を受け入れ、その声を聴き、精一杯活かすことで、感謝の気持ちを持って生きていかれる』、これは真理だと思います。人はみな理性と直感のバランスをとり、自分が生かされていることを謙虚に自覚し、良心に耳を傾け、足るを知り、心身を労わり、利他行をし、今を一生懸命に生きられたらと私は思っています。そして、『死』を冷静に見つめ穏やかな気持ちでそれを迎え、『生』を全うしたいものです。
寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で『人は死ぬ』が、霊魂は生き続ける、という意味で、『人は死なない』。私はそのように考えています。」
お彼岸の前に、松の剪定
アジサイもすっぱりと
あいたくて [本]
野カンゾウ、咲きました。
野カンゾウ、タカサゴ百合、ヘビイチゴ、草イチゴ、ツルボ、ハゼランなどなど、決して派手ではありませんが、彩りを添えてくれます。
工藤直子詩集 『小さい詩集 あいたくて』
だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
生まれてきたーーー
そんな気がするのだけれど
それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのかーーー
おつかいの とちゅうで
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている
悦に入る [本]
昨日の続きになりますが
「わら1本の革命」P165より
「麻糸を解くつもりで縺(もつ)れさせたら人々は怒るだろう。科学者はこの世を解明しようとして、反対に昏迷(こんめい)の世界にしたにすぎない。科学はものごとを完全に解明するものではないからである。
中略
科学が人間に役立つと思っているのはどういうわけか。人間は役立つ条件を先ずつくっておいて、役立つものを造って一人で悦に入っているというのが実相である。」
諸条件を整えておいてから、その条件にもっとも合うモノを作り出し、科学の成果・勝利!科学万歳!と言うのだと。最初から条件を作っているのだから、合致しないはずが無い・・・
統計の手法と似てますね。答えを導き出すための質問設定ありき。思い込みをさらに強調する手段としての科学への絶対の信頼。
その盲信は、やはり「幸せになりたい!」という心が作り出したものでしょう。
「なれる」・「なりたい」という分別を離れたところにある幸せを見つけられるかどうか、ですね。
最大の敵は [本]
フウラン、咲き始めました。
先日ご紹介した「わら1本の革命」(福岡正信著)の
P174から
「人間は自他を分別する。自己を愛する如く、汝の敵を愛せよと言ったキリストの言葉も、自他を区別しての自己であり、他人であるかぎり、人間の愛憎は消えない。邪悪の自己を愛する心が、憎しみの敵をつくっているのである。自己を愛する前に、先ず人間の分別による知恵を憎み、自己を斬ることが先決である。キリストの言葉は、裏がえせば、汝の敵を憎むごとく、汝自身を憎めである。人間にとって最初の最大の敵は、己れ自身である。
(中略)
城を築くことは、すでに悪である。城主の人柄による。自衛のためだと弁解しても、城は近隣を威圧する。守ることは、すでに攻撃である。ごろつきは、いつもなぐりこみを恐れての自衛のためと言って武器を備え、扉に鍵をかける。守ることは攻めていることであり、攻めるのは守るためといえる。自衛兵器が常に戦争仕掛け人に口実を与えるはめになる。攻撃と防御は同一物である。弱者ほど、鎧に身を固めた強者になりたがる。馬鹿殿様が堅固な城寨に武器を貯えたときが、一番隣国にねらわれる秋である。
(中略)
倚らば大樹の蔭というが、雷雨の時は、大樹の下ほど危ない。まして次の戦争では、最初にねらわれる核の傘の下に避難するほど馬鹿なことはないが、現実にはその傘の下で耕している。国の内から外から危機が迫っている感じがする・・・」
「邪悪の自己を愛する心が憎しみの敵をつくっているのである」
誰しも自分が邪悪であるなんて思っていませんよね。自分ほど正しい者はいない、と思っている。けれど、憎しみはそういう自己愛とか、家族愛などから生まれてくるのだと著者は言います。
「自他を分別するな」 思わず、行なわずは難しいですね。
でも、一人ひとりの小さな思いがこの世界をつくり、動かしていることは事実です。
憎しみは自分の内にある。愛は自分の内にある。 自他を分けることから始まる。
「ひとが生きる」とは何か [本]
私はやはり、どんな時代が来ようが、過去においても未来においても、不動の位置を保っていて、農業の源流としての原点に立った農法というのが自然農法であると思っています。
中略 中略 ・・・
しかしその前途は多難で、絶望的だとも言えます。
福岡正信著 〔自然農法〕 わら1本の革命 春秋社刊
「無為に生きる」ことを理想とした人の、お利口さんに生きよう・生きねばと努力する現代人に「贈る言葉」です。
明日の幸福 [本]
やぶこうじの花 花言葉は「明日の幸福」 はっぱや実がずっとついているので永遠を感じられるからだとか
昨日のニチニチソウの近くにベゴニアを植え
先日草取りをした墓地にも植えました。花を見て幸せを感じていただけるなら。
「旅の終わり 始まりの場所へ」 いろは出版 柏田哲雄著
ただ一度の人生の、主人公は誰だ?
ここには一言で答えられない幸せへの道がある。
みんなちがって [本]
柿の花
「わかりあえないことから」 コミュニケーション能力とは何か
平田オリザ著 講談社現代新書
P216より
「多文化共生とは何か。それは、企業、学校、自治体、国家など、およそどんな組織も、異なる文化、異なる価値観、異なる宗教を持った人びとが混在していた方が、最初はちょっと面倒くさくて大変だけれども、最終的には高いパフォーマンスを示すという考え方だろう」
(中略)
みんなちがって、たいへんだ。
しかし、この「たいへんさ」から、目を背けてはならない。
グミ
「道徳」の時間を復活させようという流れがある。それは、「みんなちがってみんないい」でもないし、「みんなちがってたいへんだ(けれど、それしかみんなが生きる道は無いと覚悟する)」ということとも違うだろう。「昔は良かった。それに比べて今のヤツは・・」というふうにはならないだろうか?道徳観をどう評価し点数をつけるのだろうか?日本人とは?どのようなことが美しい心であったり、行いであったりするのか。考えるきっかけつくりであるならば、良いのだが。