できる人が [助け合い]
きょうは「チーム大分」が主催して、熊本県益城町で活躍されている吉村静代さんを招いての講演会でした。
「自分の身を守る・・そしてみんなで助け合う」と題して、吉村さんと当地のボランティアで現地に行った中学生がそれぞれ自分の体験を発表してくれました。
中学生たちのしっかりした活動報告も素晴らしかったし、吉村さんの「できる人が できることを できるしこ(できるだけ)」しましょう、という立場で被災者自身が自分たちのコミュニティを運営する、決して平等を強制しないというお話し、説得力がありました。地震後になぜ被災者をとりまとめて避難所を上手く機能させることができたのですか?と質問をしましたら、彼女自身も被災したのですが、もともと「平成5年から自分たちの町は自分たちで創るというNPOを立ち上げていて、それは住む者が郷土に誇りを持てる町づくりがしたかったから」だと言います。
さらに「自分が楽しく」という思いがあるので、へこたれないで前向きにシステムを作り上げようとしたのだそうです。強制しないでみんなが自主的に動ける環境創りをされたと。
一番心がけたことは知らない者同士が集まる避難所の中に、どうやって意思疎通を図れるコミュティを創り上げられるか。行政じゃないからできたこと、他地区から派遣された県職市職の能力を上手に活用できたこと等あるのですが、やはり一番は「悲惨な状況であっても自分が楽しくありたい」という思いで動いたから。それが他の方を無理なく動かしたのでしょうね。
「できる人が できることを できるしこ」
最後にみんなで「故郷」と「花は咲く」を合唱しました。歌は良いですねぇ
私 ボク そして彼ら [人]
「私 日本人で良かった」
「私 中国人で良かった」
「ボク アメリカ人で良かった」
誇りを胸に日の丸を掲げよう
誇りを胸に五星紅旗を掲げよう
誇りを胸に星条旗を掲げよう
エトセトラ エトセトラ
自分がそう思うことは
ほかの国の国民もそう思ってる
そう思惟すること、想像できることが
「天上天下唯我独尊」の鍵なのだと私は思います。
お人好し [人]
Nさんが「私花が好きだから、勝手にプランター使って苗植えます!」
ラベンダーとバンマツリを植えていって下さった。ありがとうございます。
世の中を賑わしている あの方たちは
Nさんと同じように
お人好しなのだろうと思う
なんでも「良かれ」と思って引き受ける、安請け合いしてやってあげる人たち。
誰って?
誰っ?て、あの仲良しの・・・Aのご夫婦
「私も妻も関係していたなら、議員も首相も辞める!」と断言するくらい夫婦仲が良いのです。
「妻がK学園と関係があろうがなかろうが、妻は妻、私は私。妻は私人ですから政治的に私の活動とはなんの関係もなく、もちろん影響もございません!」って、最初に言っておけば良かったのに・・・仲良しで、おまけに人も良いから・・・・
お人好しだけならよいけど
国の金を勝手に減らしてあげ(させ)るお手伝いは御法度でしょう
利益供与ですから
Nさんは気短で怒るようなことはないけれど
Aさんは位人臣を極めた方だから、やっぱり気位も高い。
「消えた年金問題は最後のお一人まで面倒みます」
「拉致問題は私の手で」と張り切るくらい
人は良いのだけれど
人は良いのだけれど
人は良いのだけれど
肝心の質問ははぐらかす 答えない
「丁寧な説明を」
「丁寧な」の意味がわかってないのじゃないのか
言葉をあれこれ費やして意味不明にすることが丁寧な説明なのだと思っている節がある
お人好しは近所の方だけで、そういう関係の中だけで良い。
ジミントウのいう国民とは誰のことだろう
「イヤなら出て行け」と言って憚らない偏狭なナショナリストたちだけか
信じられる人はすごい [人]
政治は国民のものだそうです ジミントウ
責任を果たすだそうです
不思議でならないのは、自ら掲げた法案の審議で「丁寧な説明を」と言いながらも
国会でまともに説明することもなく、説明すればしたで論理がすり替わったり、内容が
衆議院と参議院で違ったりして、最後は数の論理で強行採決か閣議決定かで
切り抜けてきた政治家を信じられるということ。
そう思いませんか?こんな人たちを信じられる人は凄いって感心します。
どうしたら全幅の信頼を寄せられるのでしょう・・・・・・・・
自民党と名乗るということは我々は自由民主党ではないという名乗りのようなもの
ジミントウという摩訶不思議な政党は
自由とか民主とか一々言いたくないのだ。
そんなものは我々の敵だから!
majyoさんのところでコピーしました。
今日の婦人会料理は、鶏そぼろ+筍餡乗せご飯、筍とワカメの山椒酢味噌和え
季節の野菜の煮物に豆腐のデザート柚子ジャム添え
万が一にも [災害]
いろんな花が咲き、良い季節だというのに
災害は忘れた頃にやってくる、と言います。昨年お隣の熊本県で大地震があったばかりなので忘れたわけではありませんが、「こないで欲しい!」ことは確かです。ところが、こんな記事がありました。GW明けの今月13日頃、北部九州で大地震があるかも!とか。
当たらないことを、切に願います。
連休最後の日、Mさんの発案で自宅で母と昼ご飯を食べ、みんなでトランプをし、
ちょっと遊びました。
災害があると、平穏な日々が全て飛んでしまいます。
きれいなら [人]
ネットを見ると、(私はゴルフはしないのでほんとはよくわからないのだけれど)、日本のギャラリーはマナーが良いらしい。韓国のセクシークィーンと呼ばれるアン・シネ選手が日本での大会に初参戦。【黒ミニ アン・シネちゃん セクシーすぎる日本デビュー 日本デビューでは大勢のギャラリーを引き連れて、「たくさんの応援がうれしかった。1000回くらい、ありがとうございますと言いたい気持ち」と感謝。ホールアウト後には、40分かけて約500人のサインの求めに笑顔で応じた。】 イ・ボミ選手とかキム・ハヌル選手とか・・・傍目にも美人揃い・・・・こういう人たちには韓国嫌いの方々のやっかみとか嫌韓発言とかってないんでしょうね・・・きれいなものは例外的に許されるのか・・・・それとも、ゴルフファンとネトウヨ系の方はダブってないのかな??
なんにでも例外はありうる!
移民はさせないが高い技術を持った者は労働者として入国させるとかもね
きょうのご馳走
すぐ近くの琴音庵というBar&カフェで、ラクレット料理コース頂きました。
野菜に、とろ~~り溶かしたチーズ
ピザもパスタもラクレットステーキも・・・
ラムレーズンにブドウを載せて どれも良い味でした。
美味しいもの きれいな花 優しい言葉には 癒やされます
ノスタルジーの原点 [人]
お昼頃の東九州今川PA付近 上りの車線はガラガラですが、下り大分方面は一寸ズリ状態です。小石原・英彦山方面から行くのが一番近いのですが、小石原焼窯開きのお祭りがあってほぼ通れない状態になるので、中津廻りでお葬式に行きました。この辺り、お天気は良いです。別府大分間は雨が降って霧が出て事故があって・・・と、この先も渋滞のようでした。連休ど真ん中、みなさんお疲れ様です。
このブログでは内田樹氏のブログを常時貼り付けているのですが、神奈川新聞昨日版に寄せた記事を読むと、この国の現状や政治家を含めた民意がハッキリとわかります。全文を読んでいただかないといけないのですが、要点だけ記せば
【 安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。 】
【 日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった。それが特定秘密保護法、集団的自衛権行使の閣議決定、安保法制、共謀罪と続く、一連の「人権剥奪」政策を駆動している心理である。 】
氏の確かな分析に納得します。
まるでイジメの原点を見るような、解消できない自らの不満を他に転嫁することによって癒やす気持ち。問題はそういう人たちが道徳を持ち出し、イジメ解消を主導しようとするこの国の現状、です。そこのところを理解し共有した上で、新たな国作りを目指す人たちを育てないといけませんね。
頂いた白いシランも種が飛んで、鉢植えとは違う場所でたくさん咲いています。
頬紅エニシダ 地植えは逞しいですね。
こりごり [人]
こちらは西日本新聞今日の朝刊第一面
戦争の惨禍を経験し{こりごり・嫌気がさした」方々が議員や学者として知恵を出し合って真実「平和を求める心を託して」創り上げたものが、今の日本国憲法であると文献から証明しています。
でも70年も経つとそんなことは忘れてしまうんですね。「みっともない」だとか、「日本語になっていない」だとか、「アジアを開放するために戦ったのだ」と言い放つ。実は五族協和の中心には自分たちがいて、1等国民2等国民などと差別していたこともなかったことにして。その昔差別していた下地があるから今でも平気でヘイトスピーチができる。解放のためだけならば、泥沼の戦争に足を取られることもなかっただろうことは想像しない。
栄光の大東亜共栄圏を創り上げるために出兵した兵士たちも、戦死ではなく餓死や病死で亡くなった方のほうが多かったといいます。
地獄のような現地で、真実平和を求めたくなった、その戦争の愚かさ悲惨さを忘れてはいけません。侵略されるかもしれないという恐怖だけを煽る人を信用してはいけません。先制攻撃とか自分たちを守るためなら侵略も許される、という言説を弄ぶ人たちに安心を託してはいけません。
中には戦地に行って「内地にいる時より楽しかった」とか「偉くなったようでうれしかった」なんていう人もいますけどね・・・
人の気持ちはいろいろですが、客観的に後生の検証に耐える日々、事実を積み重ねようと努力することが一番人間らしく道徳的に生きることなのだと思います。
道徳を、他人を動かすためのマインドコントロールとして使おうと考えている政治家たちを信頼してはいけません。彼らは「今の憲法は権利ばかりで義務が少ない」なんて言ってますね。そう言っている自分たちがどれだけの義務を果たしているのかどうか・・・・
今日は午前中みんなで日田市内をデモしました。
夕方は行橋市でお通夜 バイクと車多かったです。
勝者は常に [人]
Mさんと韓ドラ時代劇を見ていたら劇中の人物が死ぬ間際に
「常に勝者は弱者を搾取する。勝者から搾り取れるわけがない。世の中はそういうものなんだ」というようなことを言っておりました。納得しないまでも、たしかに世の中そうだよなぁと思います。
しかし、適応した勝者だけが勝ち組だけが生き残れるのかといえばそうでもありませんね。弱者もしぶとく生き残って、次の勝者になったり前時代の勝者を倒して次の時代を創ったりします。
弱者にとっては「生き残る」とか、「思いを伝えていく」とかいうことが大切で、長い永いスパンで物事を考えたり見たりすることが重要です。
お釈迦樣の悟りに八正道という教えがあります。人が人らしく生きるために必要な八つの正しい生き方です。中でも、正しく物事を見る「正見 しょうけん」は第1番目に数えられます。偏らない、自分の利害得失を離れてものが見えるか?見えることを欲するか?そこを外して考えたり行動したりすることによって、人は間違いを犯します。
世の中、常に勝者は弱者から収奪するのだけれど、勝者は変わっていくことも多い。
自分を勘定に入れない、他人から奪わない生き方ができた人を、仏は人生の勝者と呼びます。
勝者弱者というものさしでなく、も~~と長いスパンで、人生の勝利者としての道を求めましょう。
簡単じゃないけど・・・・