つながる [思い出]
前の小学校でバザーと蚤の市と・・ふれあいの会?
♪ も~ぐら打~~ちは15日 ♪
【 もぐら打ち(もぐらうち)は、竹に巻いた藁等で家先や田畑の地面を叩いてまわる九州地方に伝わる伝統行事である。
元来は田畑を荒らすモグラの害を防ぐために行われていた作業が、五穀豊穣や家内安全を祈る儀式となったものである。九州各県で行われる。地域によって詳細は異なるが、小正月の頃(多くは1月14日)に子供たちが家々をまわり、かけ声をかけながら竹に巻いた藁等で家先や田畑の地面を叩く。鹿児島県地方では、まわった家々で子供たちに餅が振る舞われる。 ウィキペディアより転載 】
モグラ打ちをやっています。私も息子たちもしたことがないから、2世代を飛び越えて伝統行事の復活ですね。
七五三参りもありました。お姉ちゃんたちもお寺で御祈願しました。着物も、三人に使ってもらって喜んでるでしょう。一番下の子が小学校に上がるときには長女さんは中1だそうで、「町の小中学校に一緒に登校できるね」ということでした。旧郡部は統廃合で小学校と中学校と同じ敷地内にあるのです。
毎月お参りされている方のお花が、鬼子母神様の前にそっと供えられていました。鬼子母神(きしもじん)様は子育ての神様であり、子供たちや仏様の教えを守り行う人たちを守護すると誓った神様です。子供がちゃんと育つように、子供が授かるようにと祈る方々の思いが届くように、毎日お勤めしておりますのでご安心ください。
晴れ [思い出]
ステンドグラス作家のクニ・カジワラ先生の御宅へ行く用事を作り、バイクをちょこっと動かしてきました。日田彦山線の宝珠山付近です。
稲穂もだいぶ色づき始めていますが
外に行けないハルは不満が溜まって
胴体が長くなって、ますますこの姿勢楽勝~~
外には行けんけど、周りのことも感じられるハルに成長中です。
8.15 虚像 [思い出]
お盆の15日が朝から雨模様というのは記憶に無いことです。長靴はいてお経廻りに出たものの、途中で薄日が差し始め雨傘を日傘にするか?という感じ・・途中で迎えに来てもらってバイクに乗り換え、廻り始めたら雨・・そんな一日でした。
送りに来た方も傘を持って・・境内には185基の納骨檀と、160基のお墓がありますから、それだけの方々がそれぞれの思いをもってのお送りです。今年初盆を迎えられた方々にはやはり寂しい夏となったことでしょう。
お盆の15日が敗戦記念日でもあるというのはなんか不思議な感じですね。12月8日お釈迦様が悟りを開いた日(成道会 じょうどうえ)は真珠湾攻撃の日ですし。その戦没者追悼式典で、あの読売新聞に「総理 今年も加害責任に触れず」と書かれています。ご本人は「歴史と謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、国の歴史を切りひらく」と式辞を述べられたそうです。総理が仰る教訓とは、おそらく「常に、自分は勝つ側強い側に立たねばならない」という1点にあるのだと思います。それこそが、歴史に謙虚に向き合うという彼の思いでありましょう。日本国はアジアの国々にとって戦争加害者であったという点については、アジア解放のためには必要悪であったくらいの歴史認識でしょう。
加害責任に思いを致さない、積極的平和主義を掲げる輝かしき政治家という虚像はいつ真の像を結ぶのでしょうか?
盛り上げ [思い出]
「お席にはお名前が書いてありますから、そちらにお座りください」
というのはよくあること、きょうはこんな感じのカラフルな席札でした。
33回忌のお膳の席札です。
そうして、何気なく裏側を見ると ↓
施主のH君が自作してくれたそうで、「真味留土」はH家の墓字でもあります。 早く亡くなられたお父さんのためのお墓でしたが、まだ子供だったH君が先代上人の助言で心をこめて認めた棹の字。ご挨拶ではお母さんが、先代上人との思い出話とうちの息子の修行話まで3代に渡って述べてくださいました。お寺を盛り上げようと思ってくださる志し、ありがたいことです。ほんっとに感謝です。
お膳が終わって帰ってみると、大阪のTさんが法事の折りに「いつか持ってきますね」と仰っておられた
奥様との趣味の写真が届いておりました。お二人で大阪から北海道まで何回も撮影旅行に行かれてるそうです。
共通の話題で盛り上がり、ライバルでもある・・素晴らしい作品が撮れたときの感動を共有できるって良いですね。
うちは今 ↓ これで盛り上がってます。ありがたいこと~
ポカポカ陽気で [思い出]
今日は月に1度の病院受診日。
病院で知人に会って言われたのが、「病院に連れて来るのも親孝行と思わないとね~」
まぁ、わかるうちにちゃんと手を尽しておかないと、ですね。
午後2時からの受診、受付から1時間で終わりました。これからは昼からやね・・・・・
帰りに母を連れて桜見物。糖尿病治療中ですが、今年もおやつにアイス半分^^
九州 日田は、どこも桜満開です。
門出の日 [思い出]
きょう3月1日、大分県では県立高校の卒業式も行なわれたようですが
私たちは甥っ子の結婚式に福岡へ
副住職ですから、もちろん仏前結婚です。お嫁さんは宮城県から。
披露宴の最後に、お嬢さんが読むお手紙を聞くお父さんの影。近くなったとはいえ、やはり娘を嫁に出す男親の気持ちはうれしさ半分悲しさ半分なんだろうなぁ・・と想像しつつパチリ!
門出の日ですね。
日々どこにでも [思い出]
霜で真っ白になった豆田の裏道
「おはよう~~」と後ろからやって来た女性はNさんたちの知り合いだったようで
「なに?ゴミ拾いしてるの?ありがとう~私はお薬師さん参りなの~」と川を渡ったお堂の前で
大きな声で「オンコロコロ・・・」
ピリッとした空気の中、お参りする方もあればゴミ拾いに歩く私たちもあって・・気持ちが良かったです。
下道方面は「今日はゴミが少なかった」とのこと、私らは「けっこう多かったけど、拾いに行ってゴミがないのも寂しいから~」
花月川の流れ込みの、一坪ほどの小さな渕に小魚がいっぱいいたので、掬ってみたら1匹獲れました ^^
歩いて、ゴミを拾って、朝参りの方に遇って、小魚見て、お茶して・・楽しみはすぐそこにありますね・・
次の機会はいつやろ~ [思い出]
「帰山奉告式さえ終われば後はなんとかなるよね・・」と、Mさんと私、今回息子と同行の大分のおしょにんさんのお母さんとで、帰山式を終えることを夢見て指折り数えておりましたが・・終わってもお礼やお札の発送、資料の整理などなど到底片付かないので、
まだゆっくりとはできない日々が続きます。とりあえず、資料をファイルすることだけ終了!
「次の機会よドンと来い^^」ってなるかどうか
力道山 [思い出]
東京大田区 池上 日蓮宗の大本山 本門寺境内の墓所には
あの「力道山」さんが眠っています。 戦後の復興期に日本全体と日本人を鼓舞したあの方は、在日の方でした。
誇りある日本人として、忘れてはいけない方々の一人だと私は思います。