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鬼子母神様 [思い出]

鬼子母神とは日蓮宗寺院でお祀りする 【 梵名訶利帝(かりてい)(Ha ̄riti ̄)の意訳、訶梨帝、呵利底、可梨陀等の字が梵名にあてられ、その意から訶利帝母・歓喜母・愛子母・天母・大夜叉女神等ともよばれている。『鬼子母経』『雑宝蔵経』『有部毘奈耶雑事』『摩訶摩耶経』『大薬叉女歓喜母并愛子成就法』などに記されている夜叉(鬼神)。鬼神王般闍迦(はんじやか)の妻で一万の鬼子(五百子、一千子の説もある)の母であるところから鬼子母の名があり、その誕生の時に夜叉衆が歓喜したところから歓喜母と名づけられている。鬼子母神の話は有名なもので広く巷間に流布しているが『雑宝蔵経』に記されているその本縁を述べると、鬼子母はもとは邪神でインドの王舎城の町に来ては幼児を奪いとって食い殺していた。人々がこれを憂えて釈尊に救いを求めたので、仏は人々の悲しみを憐れんで彼女の愛子賓伽羅(びんがら)(愛児と訳す)を鉢の底に隠してしまった。鬼子母は七日間世界中を探し求めたが見つからず、ついに仏のもとに来たって子供の行方を尋ねたのである。仏はそれに答えて、おまえは万子があるのにただ一子を失って憂悲苦悩している。ところが世間の人々は一子、あるいは三子五子であるのに、しかもおまえはその子供を殺したのではないか、とその悪行を厳しく誡めた。鬼子母はやっと自らの悪事の罪をさとり、賓伽羅が戻れば二度と人の子を殺さないと悔いたのである。そこで仏は鬼子母に鉢の下の賓伽羅を見せしめた。ところが鬼子母がどのような神通力を用いても子を取りだすことができない、彼女は仏にすがって賓伽羅を得ることを願った。釈尊は仏の教えを守り三帰五戒を持つことを命じた。鬼子母は仏勅に従い三帰五戒を受けて生涯人の命を奪わないことを誓った。こうして鬼子母は仏の弟子となったのである。 】 (日蓮宗電子聖典より)

 今回長男が修行場にお持ちする鬼子母神さまを安置するお厨子には

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 私の父である先代日玄上人も昭和37年、身延山での修行の際に持参したという裏書があります。私も昭和56年中山へ、そうして今回長男が同じ中山の荒行堂にお持ちすることになります。今回も鬼子母神さまとお厨子と、たくさんの行僧たちの読経の功徳を受け、さまざまな姿を見守ることでしょう。

 やっと荷物を行堂へ発送しました。台風27号の影響もあるでしょうから関係者は気をやきもきしているのではないでしょうか。

 

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          初物の銀杏をいただきました。

 

 

 

 

 

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                                              秋らしいアレンジで


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