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記憶と追悼 [いのち]

「諸外国の主要な戦没者追悼施設について」調べられた資料によれば

それらは無宗教の施設であると書かれています。

それはなぜか?と問えば、さまざまな宗教を信じる人たちが国民としてあり、それでも一つの国家を守るために戦ったという事実を彼らは大切にしているということの現われでしょう。日本のように、戦後キリスト者が靖国神社に祀られないように裁判を起こしても神社当局が分祀を認めないというような、そういう宗教的不感症や不寛容が幅を利かす国柄では、まとめきれないからというのが、その理由ではないかと思います。要するに、靖国神社で全ての国民を網羅できるという日本人の単一思考が外国人には理解できないのであって、それを的確に説明できなければ、いくら首相が丁寧に説明しようが外務省を使おうがこの問題は解決しないでしょう。

「神道、それが日本人だ」と言ってしまえば、簡単ですけれど。単純に言って私は神道ではないですし、仏教徒やキリスト教徒だと信じている他の方々もそうであるはずです。

 

ちなみに、以下はドイツの追悼施設「ノイエ・ウ”ァッヘ」の碑文です。 最初の一文ですでに戦争の罪を明らかにしていると、私は思います。「兵士は戦争の犠牲者であると同時に加害者でもある」と言えば、それは兵士への冒涜であると思っている方々と安倍総理に贈ります。

【 ノイエ・ヴァッヘは戦争と暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場である。

我々は、戦争により苦しんだ各民族に思いをいたす
我々は、そうした民族の一員で迫害され命を失った人々に思いをい
たす。
我々は、世界大戦での戦没者たちに思いをいたす。
我々は、戦争と戦争がもたらした結果により、故郷で俘虜として、
あるいは追放によって命を落とした無実の人々に思いをいたす。
我々は、殺害された何百万人ものユダヤの人々に思いをいたす。
我々は、殺害されたシンティ及びロマの人々に思いをいたす。
我々は、その出身のゆえ、同性愛のゆえ、あるいはその病気や虚弱
のゆえに殺害されたすべての人々に思いをいたす。
我々は、生きる権利を剥奪され殺害されたすべての人々に思いをい
たす。
我々は、宗教・政治的信念ゆえに命を落とさなければならなかった
人々に思いをいたす。
我々は、暴力支配に抵抗し命を犠牲にした女性たちや男性たちに思
いをいたす。
我々は、良心を曲げるより自ら死を受け入れたすべての人の栄誉を
称える。
我々は、1945年以降の全体主義独裁に抵抗したがゆえに迫害さ
れ殺害された女性たちや男性たちに思いをいたす。】
 
男性であれ女性であれ、一人ひとりを大事にするということの原点がここには書かれています。
 
靖国神社にこれほどの思いがありますか?
お参りされる方々にそこまでの慈しみがありますか?
他の宗教を信じる方々への温かな眼差しがありますか?
 
分かってもらえないと不平を言う前に、日本人一人ひとりがしっかりと考えましょう。
 
 

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