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迷信か [仕事]

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                                             祥月命日忌のW家のお供

 私もお経の後にお相伴いたしました。

 Wさん 「先日私の田舎の叔父が亡くなった時のことなんです。そこのお寺さんが『お葬式の時にお孫さんたちがお別れの言葉の中に天国で見守ってくださいねって言われてましたが、あれは言わないでください。浄土ですから。それから出棺の時にお茶碗を割ってましたが、あれも迷信なのでこれからはしないでください』ってお説教の中で言われてましたが、どうなんでしょうか」

 

 浄土という概念が天国になって久しいです。70歳くらいの方でも言われるくらいですから。ほとんどのお坊さんは「天国で」って言われると「またか!」って思ってるでしょうね。でも、普段の生活の中で坊さんがちゃんと説明ができてない、納得させられてないんだから仕方ないことです。天国という言葉を聞いたら、もっと法話をしなければと思うしかない・・・現在、今この場所が浄土なんですよと。「死んでから行くところじゃないの?」という質問には「いま自分のいるところが浄土なんだから、生死は関係ない」と。「じゃぁお葬式は何のためにするの?」とくれば、「仮の体を離れ修行を切り上げて、一旦仏さまのもとに帰るための儀式である」と。

 浄土の現われようは重層的で様々であり、称名だけで良いとか、行なうことが大事だとか、覚悟することが必須とかは、各々の宗派によって捉え方も教え方も違うので、そこは直接お坊さんにじっくりとっくりお聞きになるしかないですね。

 

 出棺の時に茶碗を割るのは

 本来仏教は仏になってこの世界に戻ってこないことを究極の目標にしているので、故人に「もうここは戻るべきところではないから、あなたが愛用していたご飯茶碗を割るよ」と示し、同じように遺族にも覚悟してもらうための儀式なのです。

 

 Wさんは、「昔からしてきたことにはやっぱり意味があると思うんですよね」と仰ってましたが、その通りなんです。本来の意味を分かった上で、伝えるべきことと時代に合わないからしないようにしようという風に考えるべきで、すべて旧習は迷信だからするべきではないと言うのは如何なものでしょうか。儀式には形が必要です。形には先達の思いが込められています。

 私は「天国で見守ってください」ってお孫さんが言われたら、「お元気な時に良い関係が結ばれてたんですね。いままでと同じように見守ってくださってますよ」って伝えます。その心には浄土も天国も関係ありませんから。


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