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お送り [数々の失敗]

 

 最近はワンちゃんも一緒のお迎えとお送りが多くなりました

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 きょうは66回目の終戦記念日でしたね。国民の意志とは関係なく「戦争が終わってくれた」と感じさせる終戦という言葉ですが、戦争にしても喧嘩にしても、始めることは誰でも出来て終わらせることは非常に難しいということを、この言葉は端的に現しているのではないでしょうか。

 いつも思うのですが、戦争の悲惨さをいくら知っても、自分の目の前にある経済的な不足や政治的な不満の前には、戦争そのものが悲惨であるということは影響力をもちません。今、自分が幸せでないということが一番の関心事なのですから。社会的困窮や個人的な不幸を脱して(一足飛びに)幸せになるために現状打破の戦争を望み、他国を打ち負かして侵略することを喜びとしてきたのが、人間の歴史です。自分が悲惨な状態を抜け出したいから(あえて)戦争を望む人に、戦争は悲惨な結果しか生まないから止めなさいと言っても説得力はないでしょう?

 なぜふだんは喧嘩もできないような人が巨大な暴力である戦争を望むようになるのか。普通の人が「どんな悲惨なことがあってもこの国を守るべし!」というような気持ちになっていくのか。時代の流れではなく、仕掛けて夢をばら撒く(自分は手を汚さず殺されない立場の)人が必ずあるわけです。けれども、正しいことは後から正しかったと判断されることが多く、夢をばらまく無責任な言動には人は強く惹かれます。強固なリーダーシップを持った人を望むことは、自分の判断を放棄したことと一緒です。まず、自分の意志をしっかりと持たねばなりません。どんなことがあっても戦争はしない。自分は武器を持たない。そこにしか、ほんとうの愛はないと知るべきです。

 敗戦で学んだことはそういうことです。いくら戦争で亡くなった方々に手を合わせても、怒りや不足の心でまた武器を持つようではあわせる顔がありません。


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