布教講習会 [研修会]
2日目の今日は布教講習会
千葉県勝浦市から佐々木教道上人にお出でいただき、「菩薩つくりまちづくり」と題してお話しいただきました。
師は昭和52年生まれ、「町つくりは菩薩作りに通じる」勝浦市の活性化を念頭に大活躍されている人材です。
九州教区 [研修会]
教化研究会議並びに布教講習会を、当番県として開催いたしました。
初日の今日は、秋田県から柴田寛彦上人においていただき、「老・病・死を考える」と題してお話しいただきました。上人は経験豊かな医師でもある方です。
基調講演の後、5分科会に分かれて柴田上人や牧師、臨床宗教師、いのちの電話相談員、葬儀社社員の方々に提言者になっていただき、看取りや寄り添いについて学びました。短い時間では学び尽くせないことですが、きっかけになれればと考えます。提言者のそれぞれの人柄も色濃く出て、有意義な時間であったと思います。
復興支援コンサート [人]
財津町の龍川寺というところで、災害復興支援コンサートがありました。アメリカのボストンを中心に活動している現代音楽の演奏者たち。福岡から領事もみえて挨拶がありました。
尺八とバイオリン、チェロにフルートなど、それぞれが作曲した曲目を演奏しました。素直な感想を言えば、現代音楽って彷徨える魂の震えのようなイメージで、力強く後ろ姿を押していこうという雰囲気ではありませんね。最初の赤とんぼを編曲したものだけが聞き慣れた旋律でしたから、分かる人には分かる、そういった感じでした。私も含めて、田舎のおじちゃんおばちゃんおばあちゃんにはちょっと高尚だったかも。
すごいもの、良いものを間近で聴いたり見たりするのは良いですね。
丸ごと問われる 今 [研修会]
講演の中で下記の新聞アンケートを引いて
「9割近くの人たちが日米同盟を支持しています。皆さんはどうお考えですか?」と問われ、「私はわずか2%しかない『同盟関係を解消すべきだ』という立場です」と仰ったのが印象的でした。
今日の西日本新聞には「外国人受け入れへ」と大きく載っています。その中で、首相と取り巻き連中のやりとりが記載されてますが、どこかで見たような言葉のやりとりが!
取り巻き連中の忖度と、首相の「やった方がいいね」
加計学園の獣医学部の時と同じ・・確信的な言葉ですね。
日本政府は「労働力として受け入れするも移民として認めず、家族帯同も認めない」方針なのだとか。まるで産業機械を輸入する?感覚ですが、これで、優秀な人たちが来るとしたら、そう思えることが不思議です。美味しいところだけつまみ食いする政策は必ず綻びが出ます。
人は正しく遇してこそ、正しく応えてくれます。それが道徳的な生き方です。
すべてにおいて
「私たちのありようが 丸ごと問われる 今」なのです。
求めてしまう [料理]
今日は保護司会の、年2回の剪定奉仕の日。施設の廻りの垣根を、グルッと100㍍くらいあるでしょうか・・それぞれ持ち寄った道具できれいにします。ちょうど今日は入所者と他のボランティアの方とでワイワイ楽しそうに梅ちぎりもしていました。大きなビニール袋に2つくらい.豊後梅なのか、大きな梅でした。
約2時間かかってきれいにした後は、公民館に移動して更生保護女性会会員さんと女性保護司さんたちが共同で作ってくれたカレーをいただきます。サラダと手作りカステラまでついて豪華版でした。
お寺ではパンの日。チュロスと焼きそばパンと、柚子ジャム・黒豆・エンドウ豆入りパン。
チュロスはクッキングシートに乗せて油で揚げるのだそうです。
私は黒豆パンが一番好き! ここには写ってませんが(^_^;)
2番がチュロスで、次が柚子ジャムかな
私は帰りにお店に寄って花の苗を買い
何カ所も更地になった墓地の跡地に
変わっていきますねぇ
majyoさんが書いているように
「求めない」生き方ができれば、それが一番なのですが・・・・
返せよ!と言える人たち [人]
本格的に暑くなる前に、廊下のワックスかけ
適当に風があってお天気の良い日が狙い目です。
廊下にあるあれもこれも・・全部移動して水拭きします
居間と2階、階段もやりました。
皆でやれば怖くない \(^_^)/
障子張りと網戸の付け替えもそのうちに~~~
カンヌ映画祭で最高賞を取られた是枝裕和監督、TVでは授賞式前にあの出川哲朗の番組に気軽に2ショットで出てましたね。決して目立つことが嫌いではない、気さくな方だと思うのですが、その監督が文科相の祝意辞退に言及したところ、以下のような反応が飛び交うことになりました。
1.批判派はこちら
2.理解できる派はこちら
政府の祝意は辞退するのに助成金はもらうのか?返せよ!
映画祭自体がフランス政府という公権力が開催しているではないか。フランスは良くて日本政府は悪なのか?
という論点のようですね。
特に目を引くのが、3番目の方が仰るように、【 助成金云々、公権力に盲従しない個人を叩く方は「いつか自分が弾圧される側になるかもしれない」と想像しないのだろうか 】という指摘です。ネットでは、一介の私人なのに、なぜか権力と一体となった立場でものを考え、そうでない人をあげつらうだけでなく徹底的にバカにして叩きたい人たちがいるということ。
なぜフツーの人が権力者と一体の感覚になれるのか?とても不思議です。
カンヌ映画祭が公権力で開催されようがどうしようがその中で、フランス政府万歳の映画を顕彰しているわけではありませんよね。ドレスコードが厳しいことで有名のようですが、ハイヒールを脱いでレッドカーペットを歩く女性を排除したりはしてませんよね。
「自分の宣伝のために他人の手柄を利用するな」
「権力は絶対的に自己防衛しかしない」
人が他人に寄り添うことは難しいです。
生 [庭の中で]
昨日はノボタンを地植えしました。冬にはマイナス7度くらいになる日田ですが、近くのお宅でも地植えで越冬しているのを見たので大丈夫だろうと判断し、西日の当たらない日当たりの良い場所へ植えてみます。
梅雨本番で今が紫陽花の盛りですね。痛んだ花は少しずつ切っていった方が良いかもしれません。
トノサマガエル、今年はメダカ池に3匹居を構えているようです。彼らが生きていける環境が戻ってきているということでしょうか。
新潟県知事選の投票率は58.25%。前回より5.2ポイントも上回っているのですから、凄いのですが、それでも全有権者の6割弱です。推測ですが恐らく介護施設に入所している高齢者はほとんど投票されてないでしょうから、相当な数の方々が棄権となっているのではないかと思います。そのために、たくさんの智慧が活かされてないかもしれません。選挙制度自体のあり方も含めて権利としての投票というものを考えないといけないですね。
選挙の時だけでなく、ゆっくり立ち止まって考える暇さえ与えない、今の日本人に要求される「スピード感」ある生き方。誰かと競争するように、強迫観念を刺激されながら生きているように見えます。
ほとんどの方が「より良く生きたい」ために生きているであろうのに「生きるとは」がしっかりと問われることもなく、目の前の生活のためだけに生が消費されているのではないかと、私は思っています。理想は「食うための」現実には負けます。
そして
食うための現実すら意味がなくて自死にはしる方や、生きる意味を見いだせないで無関係な他人を巻き込んで殺しに走る人たちがいます。日本だけではないのでしょうが、自分には生きる価値がないと思わせてしまう生活環境。
「生まれたからには生きるんだ」
「生きてさえいれば何かしら不思議なことがある」
「いのちは価値では計れない」
一度でも二度でも、何回でも。「生きるとは」考えてみましょう。
二人の刺し子 [思い出]
「家の整理をしていたらこれが出てきたの。父が絵を描いて母が刺していったんだけどね」と、友人のGさんがたくさんの刺し子を持ってきてくれました。
丁寧な、根気強くした仕事振りからお二人の人柄がよくわかりますね。
内玄関を夏バージョンに変えたので、刺し子もここで活躍してもらいます。