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国家とは [人]

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                         満開のマンサクの花 



 法華経において釈尊は自らの立場を

「私は実は、始めもなければ終わりもない、無始無終の古仏、久遠の仏である」と明らかにされ、「だからこそ、常に生きとし生けるものとともにある」と宣べられました。観念でない、現実の姿としてともにあるのだと。今までがそうであったように、これからも添い続ける仏さまであり、その釈尊が現実にいらっしゃるのがこの娑婆世界=浄土であると。



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 人の一生は短いです。一瞬のきらめきのように短い人生だからこそ、今この時代にこの名前で生きられることを感謝して生きていければ幸せなのですが。




 今日は建国記念日、建国以来2678年だそうですね。現存する国家では一番歴史が古い?

 始めもなく終わりもないことがステータスである仏さまと、いつから始まったかが重い国家と、人の時間に対する思いは様々です。国が続いていることが重要になって、誰がどのように続けていこうとしているのかは二の次になっていませんか?と問いたい。中身はある意味どうでも良くて、未来際までも繋いでいくことにスタンスがおかれる。奉祝式典の中で参加者が「国家の独立云々のために自主憲法制定を」というようなことを宣言されていましたが、国家の独立云々を言うのなら、この国の憲法の上位にある日米地位協定の破棄こそが優先されるべき課題です。今は自由に政策が決められないのですから。そこを見ないで、スルーして人権の制限などのために改憲がいくのなら、あの国のための従属国家であって国民は使役される労働力程度になり、生かさず殺さず・・



 

 ところで

 仏教のいう国土はあくまでも仏さまの慈悲の教えが行われる浄仏国土です。仏国土は永遠に花が咲いてきれいでご馳走があって云々ではなく、実は自由意志で自分を治められる人を仏と言い、その人たちが住むところを浄仏国土というのです。領土領海領空のある国家ではありません。



 人がいて国土があって国家がある。国家のために生きたいと願う人もいるでしょう。そこに幸せを感じる人もいるでしょう。誰かに捧げ尽くす人生も尊いですが、決めるのは自分です。幸せを感じても共有する相手があってこそ。悔いの少ない人生を生きましょう。人の一生は短いのです。 



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