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慈しむ [人]

 電話勧誘がありました。最近多いですね。今日のは「お宅のホームページをもっとたくさんの方が閲覧してくれるようにリニューアルしませんか?」でした。うちのはもう10年以上前に作ったものですから、その筋の人からみたら古色蒼然としたものなのでしょう。でも当分このままでいきます。



 世の中の始まりはどうだったのか?「光あれ」という言葉と共に世界は始まった・・のでしょうか?最低限光と水とあれば生物は活動していけますから、まず最初に光ありきなのでしょうか?光という特別なモノに対する渇仰が光あれという言葉に象徴されるのでしょうか?


 卵と鶏の話のように、どちらが、何が始まりなのかですが、光という言葉が先にあったのではないかとフッと思います。光という概念があって言葉があり、その言葉がモノを産み出していく。そういう考えは、どうなのでしょう?


 こんなモノがあれば良いのに!という考えが便利な道具やモノを産み出していくことは普通に考えられますよね。


 言葉が先にあり形となってこの世を作っていくのではないか。昔から言葉には魂が宿るといわれています。そうであれば無闇に乱暴な言葉を発することは避けねばなりません。米中日の指導者に限らず人は丁寧な、思いやりのある言葉を発する心が必要です。それができれば、世の中の争いのほとんどは無くなるでしょう。


 仏さまの「慈悲」 慈しむという言葉は「人や植物や生き物を育てる」思いがぎっしりと詰まった言葉です。傷つけない、育てる、相手の力を発揮させる、そういう思いが慈しむという言葉の中に詰まっています。「悲」は何度も言うように、苦しみからの解放です。仏さまのすごいところは、それらを分け隔て無く与えるということです。自分に近い人かどうか信じるかどうかは関係なく、全ての生きとし生けるものに。


 慈しむ  その言葉を体現する者は仏です

 言葉があり世界は形作られていく


 私からあなたから



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