お参りの途中で 栗がだいぶ育って、明日は立秋です。
今日はアメリカによる広島原爆投下の日
お盆参りで伺った家で黙祷のサイレンを聞きました。
72年経っても被爆者や関係者の痛みが消えるわけではありません。それを無かったことのようにできる、その感性が問題なのです。核兵器の保持や使用も可能だと思えるその意識が、神をも畏れぬ傲慢さの現れなのです。他人を駆り立てるために、宗教心のない者たちが不遜にも宗教を語り宗教を利用する。靖国のように。
平等性、普遍性、一貫性、永遠性、慈悲のない宗教は宗教ではありませんね。