仏の顔も [人]
今日はお彼岸、お経に伺った家で
「仏教では戦争ってどうなんですか?」という質問をいただきました。
「他の経典は知りませんが、法華経には、そもそも戦争という概念がありません。人の欲にはどう対処すれば良いのか、どうあれば人は仏に成れるのか、が最大のテーマです。だから、戦争そのものに対して法華経の立場から云々はできません」
「じゃぁ、仏教では戦争しても良いのですか?」と続けて聞かれましたので、
「お釈迦樣はご自分の出身氏族であるシャカ族をコーサラ国から滅ぼされています。そうなったいきさつというのがちゃんとあるのですが、直接お釈迦樣が国に帰って武器を取って戦うとか司令官となって氏族を鼓舞するとか、そういうことは一切なさっていません。ただ見守るしかなかったようです」「戦争というものに対して仏教はある意味無力です」「人の欲はとんでもなく強大ですから」
「人を殺しても良いのですか?」
「それはダメです。不殺生戒で自分のために生き物を殺すことは厳しく禁じられていますから。肉とか魚とかがあって、それを偶々来合わせた僧侶に供養するというようなことは許されていたようです。でも、供養するために殺すことは禁じられていました。だから勿論、戦場でも生き残るためでも人殺しはダメです」
「そうなんですねぇ・・・」
私たちは戦後の教育を受けていますから、民主主義を基礎に考えます。さらに、アメリカナイズされた、自分を守ることなら大概は許されるという考えにも親和性が高いものです。それは日教組を排撃して止まないジミントウ的人たち、この国大好き保守主義者にも共通の考え方でしょう。横並びでありながら、自分ファーストです。
でも、お釈迦樣は人は欲深くどうしようもない部分をたくさん持っているけれど、仏という調和が取れた人格になれる、私のようになれると宣言しました。どうしようもない時でも天上天下唯我独尊であるとも仰いました。唯我独尊というとまるで自分ファーストのようですね。でもやっぱり違うんです。この言葉の後に続く
三界皆苦 我当度此 には
この世界は皆苦しみにもがいているから 私はこれを救う
尊いいのちをいただいたみんなが
欲におぼれて我を忘れて苦しんでいるから
私が救うのだという宣言されています
この私は釈尊でありまた、教えをいただく私、仏教徒でもあります。
戦争をして良いはずがありませんね
強い者が生き残れば良いという発想はありませんね
み~~んなが生きていくためにはどうすれば良いか
仏さまはそこに焦点を当てて、私たちが自分で解決ができるように、解決するように智恵を授け、教えを説かれています。
納得してもらえたかどうかはわかりませんが、ゆっくり話ができてよかったです。お彼岸の功徳ですね。
2017-09-21 23:02
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コメント(7)
歯の痛みは治まったのでしょうか。
私の先日の歯の痛みといい、
年齢的に、歯が傷む頃なんですね。
by koto (2017-09-22 08:11)
今の政治家を見ていると
>自分を守ることなら大概は許されるという考えにも親和性が高い
そう思いますね。自分ファーストです
しかし御坊様と言うのは大変ですね。単なる知識だけではなく
自らの考えをいつもしっかり持っていなくてはならないから・・・
修行ですね
by majyo (2017-09-22 08:12)
宗教間の争いは全世界にあり、難しい問題ですね。
いずれかの派に所属し、派間に何らかの利害関係が生まれると
どの宗教も教えは平和や安らぎを説いているのでしょうが
それらや我を忘れて争いに発展します。
人間ってそういうものなんでしょうかね。
なかなか理解が出来ません。
by ファルコ84 (2017-09-22 09:13)
kotoさん 痛みが収まったと同時に顔半分が腫れてきて、20日の彼岸法要の時は、お岩さん状態でした >< 檀家さんから「それは疲れもあるんですよ、気をつけて下さいね!」って言われました。連休終わって歯医者さんで切開して今消毒に通っています~~顔面腫れはほぼ引きました。年なんでしょうねぇ
majyoさん 祈りと悟りと行いとが一致する、っていうのが目指すところなんですが、まず悟りがねぇ たしかに修行です!
ファルコ84さん 人間ってそういうもんなんでしょう。「縁なき衆生は度しがたし」って言いますしね。でも生まれながらに仏の子ならば、みんなご縁はあるんですよ。気がつかないだけで。
by gonntan (2017-09-22 20:23)
宗教と一口で言われても、、、よく分かりません。
現世あってのあの世?、、、でしょう
争いの現世を望むことはないでしょうが?
戦争のない、戦争をしない、、、そのために生きる
宗教は、、、?
by えんや (2017-09-22 21:22)
いいお話ですねぇ
我欲での殺生がいけないのですから、戦争ができるはずがありませんね
これ以上の平和主義はありませんね!
by momotaro (2017-09-23 06:33)
えんやさん 仏教では争いの世界は「修羅 しゅら あの奈良の阿修羅像で有名な」界と言います。そこに住む者は自ら望んで争いの世界に飛び込んでいった人、と言われています。だから周りを見回してそういう争いを好む人を見たら「あぁあの人は今修羅の世界にいるんだ」と考えれば良いでしょう。自分はどうなんだろう、と見つめることも大事ですよね。また、自分の居るところがいつも現世なので、過去現在未来は同時にあるとも言えます。生き物は生存本能がありますし、それが極端に大きくなったのが人間ですから、争いは絶えないでしょう。その争い事が自分にとってどういう意味があるのかを教えてくれるのが、宗教ではないかと思います。宗教は、本来、生き方ですから。
momotaroさん まともに宗教を学んで実践しようとすれば、戦争はありえませんね。
by gonntan (2017-09-23 08:23)